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桜の入学式

 入学式のイメージっていうと、なんか桜が思い浮かぶ。
 たぶん、漫画とかドラマとかアニメとか、そういうもので植えつけられたイメージのせいなんだろうな。おろしたての制服に身を包み、学校の門へ向かって歩いていく。これから始まる新しい生活に期待を膨らませる主人公。彼の心情を表すかのように晴れ渡る青空――そして舞う桜の花びら。こんな感じの光景が頭に描かれる。
 でもさ、そういうやつの舞台って、たいてい東京なんだよな。あの辺りの桜が咲くのはだいたい4月の頭くらい。入学式も同じくらいの時期にやるんだから、お約束として定着するのも、まあ当然なんだろうって気がする。
 ところで、俺の住んでる場所は東北だ。東京から見れば北の方に位置してるわけで、もちろん東京より寒い。つまり桜が咲くのも遅くて、ゴールデンウィーク前かゴールデンウィーク中くらいになる。
 入学式やるあたりなんてまだ全然寒くて、下手すりゃ雪が降ってたりする。そういう時期ってさ、まだ世界がモノクロなんだよな。かすかに残る雪の白に、木とか土とかの黒の世界。植物の緑だとか、それこそ桜の色だとか、そういう色が混じってないから、なんていうかこう、燃え上がってくるものがない。明るい色なんて、せいぜい体育館に巡らされた紅白幕くらいじゃないか? でも、あんな人工的なものじゃ駄目だ。生物の本能か知らないけど、生命の息吹が感じられるものを見ると、気合が入ってくる。じゃあやってやろうかってな。
 そういう意味じゃ、東京と東北じゃスタートダッシュからして違う気がする。東京の連中が4月から気合入ってる中、東北じゃまだ準備段階。5月入ってやっと本調子。そんなじゃハナから負けてる。
 だから俺は早く東北を出たかった。どんなに綺麗事言ったって、ここには何もない。テレビだって映らないチャンネルはあるし、本が入ってくるのも向こうに比べれば負ける。ちょっと市街地から外れれば一面田んぼとか山しかない。そんなところにいたって、将来なんか見えない。
 まあ、結局、向こうの大学には落ちた。よくある、国公立以外は認めないって親からの通告を食らい、頑張って向こうの前期試験を受けたけど落ちてた。どうせ浪人するからと記念受験のつもりだった東北の大学の後期試験に向かう途中で、地震がきた。揺れて電車が止まったと思ったらそのまま停電。なんかゴタゴタしてるうちに試験は中止になってた。それからしばらく電車とか動かなくなったから、数日ホテルにいた。
 何もできないから、テレビ見たりラジオ聞いたりしたけど、そこで見たのは現実とは思えない光景だった。車が波に飲み込まれたり、家があった場所が跡形もなくなったりしてた。
 今までさ、「こっちには何もねえな」っていうのは、田んぼや森林が広がってる田舎っぽい風景だとか、店の商品の種類が少ないだとか、そんなもんだった。遊ぶ場所ねえよなあって嘆いて、仕方なくカラオケに入るってところだった。でも、テレビに映ってた三陸海岸の光景は、文字通り「何も無い」場所だった。
 三陸海岸といえば、リアス式海岸ってことで地理の授業で頭に叩き込まれる。今回の地震の津波が大きな被害をもたらしたのは、入り組んだ構造によって波が増幅されたからだって解説も、悔しいけど勉強してたからそういうことかって理解できてしまう。緊急地震速報にP波が利用されるっていうのも、ああ、あれのことねって納得できてしまう。……高校時代の最後の復習が震災ってなんだよ。あの悲惨な光景を理解するために今まで勉強してきたのかよ、俺は?
 交通機関が再開して、ようやく家に戻った俺は、正直どうしたらいいか分からなかった。浪人して高校の勉強をもう一年やろうって気にはどうにもなれなかった。俺の住んでる場所は特に被害はなかったけど、身近な場所が被害を受けてる状況で、足踏みをしようって気にはなれなかった。一歩でも前に進みたかった。
 そうこうしてるうちに、気づいたら後期試験には合格してた。行きたかった東京の大学は落ちて、残りたくなかった東北の大学には合格。俺は、そのまま大学に入学することにした。
 あれだけ嫌だった東北だけど、今は残りたい気がしてた。その気持ちを含めて俺が住んでる場所だし、それは俺にしか理解できない。そんな俺が、ここで東北を立て直したかった。
 何にもない場所なんか慣れっこだ。でも、絶対に東京にはないものがここにはある。それを証明したかった。全部合わせて一千万人の東北が、一都だけで一千万人の東京に、見せつけてやりたかった。ここにも希望があるんだってこと。俺の選んだ道が間違ってないってこと。
 こうして今、俺は東北の地に立っている。
 おろしたてのスーツに身を包み、大学の門へ向かって歩いていく。これから始まる新しい生活に期待を膨らませる俺。俺の心情を表すかのように晴れ渡る青空――そして舞う桜の花びら。

 ――桜の花びら……?

 俺はハッとして顔を上げた。大学を囲うように立つ桜の木。その枝には満開の桜の花が咲いていた。ちょっと白んだ青い空に、細かい粒になって色を添える桜色。色鮮やかな春がそこにあった。
 ……そうか、地震の影響で、入学式がゴールデンウィークの辺りまで伸びたんだもんな。ここの桜は今が見頃。……東京になんか行かなくったって、今年は桜の入学式なんだ。

2011年5月8日 公開