2010年3月9日に行った第一回サイコロの旅に続き、待望の第二回を開催しました。
2011年3月11日(金)に宮城県の仙台駅をスタート、15日(火)までにゴールの弘前駅に辿りつくという設定で行いました。
しかし、この旅は、文字通り予想もしなかった展開を迎えるのでした。
今回は、ビデオカメラやICレコーダーを持参し、動画に仕立て上げてサイトで公開するつもりで旅に出かけました。
しかし、途中で東北地方太平洋沖地震が発生し、サイコロでの移動はおろか、通常の手段での移動もままならない状況へと置かれたのでした。
未曽有の状況を収めるべく、映像や音声を最後まで収録し続けました。
しかし、「サイコロの旅」自体はほとんどなく、ほぼ全てが地震発生後の状況であること、大きな被害を受けた方の心境など、様々なことを踏まえ、これを動画として公開するか否か考えました。
迷いは短い時間でした。
「旅」に出た記録なのだから「公開する」。
旅では様々な出来事が起こります。
本家の「水曜どうでしょう」でも、体調不良・天候不良・事故・事件など、様々な事態が起きました。
僕がこれまで行った旅でも、移動手段が無くなって必死でヒッチハイクしたり、ものが無くなったりと、困難がつきものでした。
何も起こらない旅などあり得ないのです。
我々が困難に遭遇したこと、そしてその困難に立ち向かった記録は公開することに不都合はないと考えました。
また、あの日あの場所で遭遇した地震前後の状況を一定程度記録できた以上、何が起きていたのかを知りたい人に知ってもらえるようにすることは、あの場にいた者の責務だという思いがありました。
メディア報道では様々な形で伝わっていますが、実際にはどのようなものであったのか。
参考になるかは疑問ですが、一端を覗いてもらえればと思います。
最後に。
地震発生後、我々を支えてくださったみなさま、ありがとうございました。
この動画を公開することが、わずかでもみなさまへの感謝の意になると信じて頑張ってきました。
そして、動画を見たいと言ってくださったみなさま、ありがとうございました。
「どんなサイコロの旅だったのか」「地震が発生したときどういう状況だったのか」「避難所ではどんな感じだったのか」といった疑問の一端にお答えできたなら幸いです。
サイコロの旅で各地を駆け回れる日が再びくることを、サイコロの旅の一ファンとして願っています。
詳細は、旅行記・動画内で語られますが、最低限の情報について。
今回のメンバーは4人。
まずは
このサイトの管理人で、前回のサイコロの旅も企画しました。
今回も準備から本番の運営まで執り行ないました。
「ディレクター」の肩書きで本番も奔走。
気持ちだけは、目指せ藤村ディレクター!
……そんな切れ味ないですが。
続いて、YUYAさん。
名前は出ていませんでしたが、前回の「東北地方サイコロの旅 〜2010春〜」の時に苦楽を共にした友人です。
リベンジしようと言ったら、やろうぜと即答され、あれこれ話をしつつ企画を進めていきました。
次は、
ニコニコ動画では、朗読や歌などの活動をされていました。
北海道出身ということもあり、「サイコロ」の名を語ればホイホイついてくるだろうと睨んだところ、見事にホイホイついてきたため、同行することになりました。
最後に、さわさん。
大学の後輩です。
先輩命令で本人のやる気を尊重し、選抜部隊に入隊しました。
サイコロリベンジの企画自体は、記憶が正しければ1月末くらいに持ち上がり、準備が進められました。
前回は日程が1日しかなかったことで悔しい思いをしたこともあり、みんなの予定を突き合わせて限界までスケジュールを押さえました。
その結果、3月11日(金)〜15日(火)までの5日間の長期日程が実現したのです。
スタートは、宮城県仙台駅。
ゴールは、青森県弘前駅に設定。
弘前を目指してサイコロの旅を始めたのです。