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2011年3月の日記帳

2011年3月21日(月) 「10日経って」

地震発生からまだ10しか経っていないと考えると、信じられない思いがします。
もう1ヶ月以上経ったのではないかという思いです。
それくらい、この10日間は濃いものだった気がします。

地震・避難所生活・原発事故・計画停電(未遂)・燃料不足・食料不足……。
今までの人生で経験したことのないようなことが一気に押し寄せ、もう二度と2011年3月11日以前のような生活には戻れないのではないかという考えが、未だに頭の中にあります。

でも、少しずつでも進んでいかなければなりません。

幸いにして、先週始めた、鉄道・飛行機の運行状況のまとめは、わずかながらでも役に立っているようです。
地震に関わった一員として、自分にやれることをやっていけたらと思います。

2011年3月15日(火) 「公共交通機関運行状況」

避難所にいた時に考えていたのは、どうやって帰ろうか・帰れるかということでした。
公共交通機関の運行状況がどうなっているかの情報が一番欲しかったものでした。

そんな思いから、鉄道・飛行機の公共交通機関の運行状況をまとめてみました。
本当は高速バスに関してもまとめたかったんですが、膨大な量になってしまうため、今はできませんでした。
可能であればやりますが、誰か他の人がやってくれることを期待しています。

2011年3月14日(月) 「東日本大震災」

本日朝、ようやく自宅に戻ってくることができました。
ご心配くださった方々、ご迷惑をおかけしました。
そしてありがとうございました。


2011年3月11日(金)14時46分。
この日は、僕にとって、そして今を生きる日本人にとって、忘れられない一日となってしまいました。
まさか、アホな旅をやろうとしていた初日にあんなことが起きるとは……。

「サイコロの旅2」と題して、3月11日(金)12時に、宮城県仙台市仙台駅をスタート地点として、サイコロの旅を始めました。
メンバーは、栃木県在住の友人YUYAさん、大学の先輩の空音さん、大学の後輩のさわさんの4人でした。
目的地を新潟駅に定め、電車を乗り継いでいましたが、山形県の中川駅と赤湯駅の間で緊急地震速報を受信。
その数秒後に走行中の列車内で地震が起きました。
未だかつて感じたことがないほどに強い揺れ、加えて走行中であったこともあり、横転の恐怖もありました。

緊急停止し、停電。
数時間後に車外に出て避難所へ向かいました。
避難所で二夜を明かし、13日(日)朝から丸一日かけてようやく自宅に戻ることができました。

正直、今も恐怖の固まりがこびりついています。
本震の揺れ自体の恐怖もなかったわけではないです。
でも、それ以上に恐ろしかったのが、信じられないほど頻繁にくる余震。
いつ始まるか分からない揺れに神経をすり減らし、揺れ始めるたびに身構える繰り返しに、自分で思っていた以上に消耗していました。

そして、テレビやラジオで流れるニュース。
情報収集のために、避難所にはラジオとテレビが設置されました。
初日夜はラジオだったのとまだ全体像が見えてなかったこともあり、それほどでもなかったですが、2日目はテレビを見ることができてしまったのです。

太平洋側に起きた津波で町が飲み込まれていく様子など、悲惨な様子を目で見ることができてしまったんですね。
これはきつかった。
余震の繰り返しで、今揺れてるのか揺れてないのかの感覚も失われ、想像以上にまいってしまいました。

震度5弱の地域にいてこれでは、震度7というのがどれほどのものなのか、想像だに恐ろしいです。
震度5強の地域にいた友人が特に何ともなく過ごしているとのことだったので、異郷の地で過ごし続ける不安感もマイナスに作用した可能性がありますが。



僕らはどうにか自宅に帰宅することができました。
しかし、まだ苦しんでいる人も大勢います。
様々な事情で家に帰ることができない人、帰る家すら無くなってしまった人など、想像を絶する事態が現在進行形で起きています。
現時点で比較的安全な場所に戻ってきた僕達には何ができるのか、考えていきたいと思います。

このサイトで行う最初の取り組みは、画像表示の一時停止です。
このサイトは、現時点でも相当軽いサイトとして作成していますが、画像表示を一時停止することで、サイトを極限まで軽くする措置を取ります。
これは、サーバーとの通信料を少しでも減らすためです。
今はだいぶ収まってきましたが、地震直後は電話もネットも全くつながらず、僕の場合は地震発生から24時間以上が経過して初めて携帯電話がまともに機能し始めました。
今でも連絡がつかない人たちがいる以上、その人たちのために通信量は少しでも減らしたいというのが理由の一つ。

幸い、このサイトはテキスト中心のサイトで、画像はおまけです。
差し当たって画像がなくても機能します。
そして、このサイトで減らした容量分は、他の用途に役立てて欲しいです。

役立ち方はいろいろあります。
電話、メール、災害情報・安否情報などはもちろんですが、被災地では、被災地へ向けられた応援イラストやマンガに救われたという方々が少なからずいます。
画像表示の通信量は、より有益なものに譲ります。

明日には、また別の措置を検討します。


とりあえず今やるべきことは、体力の回復。
休めるときに休み、動くべき時に動く。
今回のことで得たことの一つです。

2011年3月11日(金) 「サイコロの旅2」

今日から、サイコロの旅を行います。
今回は、僕と前回参加した友人に加え、新たに2人がメンバーに加わり、合計4人で挑むことになりました。
どんな旅になったのか。
その詳しい様子は来月以降大々的に報告できればと思っています。
そうご期待。

道中知り合いのいる町に行くようなことがあったら、声かけるかもしれません。

一応、Twitterでた〜まに道中のコメントするかと思います。
もしかしたら、ブログの方にも書くかもしれません。


まあ、何が心配って、睡眠時間0なことなんですが、気合でどうにかします。
死にませんように……。